ひとり言

〈Miracles happen to those that believe in them〉奇跡はそれを信じるものに訪れる.  

皆さん こんにちは。閉塞的な日が続く中いかがお過ごしでしょうか。

多くの方は個人にできる限りのことは守りながら生活しているのではないでしょうか。

私も一日中も早く親しい人に会える日を願いながら生活しています。

 

先日定年退職してから博士号を手にした方のエッセーを読む機会がありました。冒頭の言葉はその中に有ったものです。『博士号』大学で博士過程を出れば手に入れられるものと皆さんは思いますよね。

この方の最終学歴は高校卒、某大学に行政技官として定年まで勤めました。その傍ら、基礎学力の不足を独学で学び自分の研究を続けたのです。これだけ聞くとインターネットが発達し独学で学ぶことが可能な現代は大したことがないように思えますが50年も前、パソコンはまだなくコンピューターは出力も入力も数値とプログラム言語と呼ばれる文字の時代です。その努力と苦労は測りせれないものがあったことでしょう。きっと大卒であればという場面に何度も遭遇したと思うのです

学生ではないので指導教官はいません。研究へのアプローチ・論文のまとめ方など手探り状態の日々。自分の研究を教授に見てもらうことさえ奇跡のような環境での50年。

 電気少年と呼ばれた小学生の『未知への憧れ』は年を経て数々の不可能を現実に変えながら努力し継続して、アメリカの物理学会刊行の雑誌に『単名で英語の論文を書き投稿する。内容の記述に数式が用いられている』という夢をかなえたのです。

博士の学位修得までの数々の出来事はここでは割愛しましょう。

彼は言います。

もし大学教育を受けることが出来て居たら憧れや夢を持ち続けていただろうか。

周囲の人たちのように才能を発揮できただろうか?

否、周囲の能力についていけず『きっと落ちこぼれになっていた自分』

そんな自分が奇跡を信じ、今ある自分ができることに努力し継続したことが奇跡を手に入れることに繋がったのだろうと。

私たちは手に入らないもの、失ったものに執着する傾向が強く、他人の物はよく見え自分のことは卑下する。しかし彼のように持っていないなら手に入れる努力をする。その考えと行動があれば奇跡を起すことだってあるかも知れない。そんなことを考えさせる(高卒ハカセ)というエッセーでした。

佐藤 美代子

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