ひとり言

スローな刻(とき)を…

私はかつて中学生の時代から9年の長きにわたって  

文通(ぶんつう)をしていたことがある。

今の若い方に言わせると      「文通って、なに?」ということになる。

正に文(ふみ)を通(かよ)わすという意味なのだが

携帯電話時代の方には       ピンと来ないようだ。

家族が寝静まった夜中に

「時計が12時を打っています。   眠れないままに筆を執ります。…」などと

ペン(万年筆)で書き始めたものだ。

(「時計が打つ」や「万年筆」の登場で、年代の想像がつきそうですか?)

 

ノスタルジーに浸ろうと思って   語り始めたわけではない。

便箋1枚を埋めるのに       朝方までかけて悩み

何枚もの下書きを書いては破り   破いては書いた手紙…

何とのんびりとした刻(とき)だったのだろうか

清書をして切手を貼り       ポストに放り込んでも

届くのに数日           そして…

相手も(多分?)近況や自分の想いを 1枚の便箋にぶつけるのに

書いては破り、破いては書くため  返事が来るのは早くて1週間後になる

 

今の若い方は、携帯電話がないと  コミュニケーションが図れないようだ

メールをしたのに即返がないと   

「嫌われたのではないか?」    「友達と思ってくれては、いないのか?」

と不安になる。

 

パソコンや携帯電話でメールが打てる 便利な世の中にあって

今さら手紙や葉書を書くことを    お勧めする訳ではない

しかしながら

メールの即返がないとき       携帯電話がつながらないとき・・・

ひと呼吸することをお勧めしたい

そして

「忙しくて返事(メール)が打てないのかな?」  「熱でも出して寝込んでいるのかな?」

など、相手を思いやる気持ちを抱いて欲しい。

また、周りのスピードに追いついていけないと感じたとき  無理に合わせようとせずに

立ち止まって自身を見つめ直して欲しいと思います。

スローな刻(とき)を…

牧田 英治

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